0歳と5歳の子ども達とにわとり広場へ
「にわとり広場」に行ってきました。
平飼いのにわとりが沢山いる農家さんのお宅です。
いつも、美味しい卵を買いにいっています。
4月は、産まれたばかりのひよこがやってくる季節のようです。
雨上がりにぬかってしまう土の道路、鶏の臭い(平飼いのにわとりは、そんなに臭くはありません。)、鶏の世話をする様子をみる、鶏を育てている人と会う、鶏をみる、ひよこたちに餌をあげる、ひよこをさわる、鶏のスモークを購入、そして、我が家の食卓に、おいしい鶏、卵料理がだされる。
また、鶏をばらす時にお腹に入っていた卵を見たり、(卵の形をしてふわふわしています。膜の中にゼリーが入っているような感じ。鶏をばらすところは、今回は見られませんでした。)
燻製になった鶏を丸ごと買って来ると、娘は、その鶏の姿を見て、両足、背骨などを見てどのように鶏が歩いていたのかを再現していました。
物を食べると言うことは、命をいただくということ。
何かの命もらって、私達が生きていると言うこと。
そして、また、私達は命を育てることもできるということ。(野菜や米作りなど)
これから度々通わせていただいて、モンテッソーリ教育の文化教育に発展させていこうと思っています。
☆鳥を図鑑でみてみる。
☆鶏の部位などを図鑑で見ている
☆日本は食材をどのように調達しているのか?鶏を題材に、養鶏の産地や輸入先をしらべてみる。ブランドと言われる鶏の特色を調べるのも良いかもしれない。
☆養鶏にどのような薬や化学物質が使われているのか? など。
ペットとして鳥を愛おしく思い世話をする心と、
食材となっていく鳥(鶏)を感謝していただく心とを、
どうやってバランスよく育てていくのか考えたいと思う。
さあ、明日も行こうっと。




















yukiko さんのコメント,
2008年4月28日 @ 21:06:02
私の主人はこどもの頃、
飼っていた鶏をお祝いか何かのきっかけで、
絞めることになりました。
主人の祖父がする一部始終を観察したその日以降、
数年に渡って肉が食べられなくなったそうです。
ペット同然に扱っていた鶏だったからかな?
また
(主人は すぐ裏に山、前に川、横に田んぼ みたいな田舎の育ち)
山から狸が降りてきたときには
「たぬきはお酒が好きらしい!」と皿に日本酒を入れてみたら
朝庭に出てみると、酔っ払った狸がひっくり返って寝てた
とか
飼っていた猫のひげを切ってみたらどうなるか、実験!
と称して、切ってみたら
まっすぐ歩けなくなった
とか
聞いてると笑っちゃう内容ばっかりだけど
本物に触れることのすごさ、みたいなのも感じたりします。
毎回のお出かけ、なかなかのレベルの高さに脱帽です♪
yasuko さんのコメント,
2008年4月29日 @ 22:00:21
そうなのです。
一番心配なことは、yukikoさんも書かれている様に、
主人の祖父がする一部始終を観察したその日以降、
数年に渡って肉が食べられなくなったそうです。
ペット同然に扱っていた鶏だったからかな
これがきっかけでたべられなくなったら、
とか、
心のショックをフォローできるか?など葛藤があります。
これからも、いつなんどきそのような事が起こるかもしれないので、
心配りはしたいなと思っています。
ペットに近い「鳥」などの前に、
市場に行って、大きな魚をさばくのを見たりもしました。
娘は、動物の体(の中)のつくりに興味があるようです。