自分で自分を育てる力
3人の子どもたちの真ん中は今、小学校1年生。
先生たちには教育指導要領という一定の方針はあるけれど
子どもの育ちについてはモンテッソーリ教育ほどのしっかりした柱はない。
各先生の「子ども観」が子どもへの接し方が反映される。
うちの1年生は
・忘れ物が多い。
・何かに没頭すると(本を読んだり、絵を描いたり)、先生の指示が聞こえなくなる
・休み時間が過ぎ、次の時間が始まっても今やってることを続けたくて仕方がない。
などなど
一般の教師からすると困った子どもである。
時折電話を下さり、親の私まで指導してくださる始末。
先生からの電話は、結構ショックである。
本当は子どもがものすごく「ダメ」なんじゃないかと悩んでしまったり。
私の中で「先生」という存在は「一般の大人」とは格が違うのだなぁとつくづく思い知らされる。
でも、いろいろ考えてみてこんな結論に至った。
・忘れ物が多い
忘れ物すると友だちに借りる、先生に借りるなどしてその時々で対処する。
彼には、対応力があってすごいっ!
忘れ物を毎日、365日、完璧にしない人間はいない。大丈夫だいじょうぶ!
・何かに没頭すると先生の指示が聞こえなくなる
彼の集中力はすごい!没頭しすぎて他の音も声も聞こえなくなるなんて、すごいじゃないか-^^/
・次の時間が始まっても、今やってることを続けたい
子どもがやり始めたことを最後までやり遂げようとする力はすばらしい。
子どもに接するモンテッソーリの教師には
「モンテッソーリ教師の心得12か条」というのがある。
・適切な環境を準備する
・分かりやすい提示を心がける(用具・教具の扱い方を適切にやってみせる)
・誤りをあからさまに訂正しない
これらはその一部であるが
一般の教師が心がけることとずいぶん違っていると思う。
第一、環境の中に用具・教具など個別に扱えるものは準備されていない。
一斉教育なので当たり前なのだが。
先生からの一方的なお話をただ、だまって聞き
じっとすることを強いられ、お話もできない。
モンテ育ちの彼がその状況で45分も耐えていることだけでも、私は大きな拍手を送りたい!^^
加えて先生は「あからさまに訂正しまくっている^^;」
モンテッソーリはこういっている。
「強いて教授を繰り返さないこと」
「子どもに間違ったこと、理解されていないことを感じさせないこと」
なんとやさしい人格を尊重する教育なんだろう。
小学校で習う四則演算(+、-、×、÷)もモンテの教具の中にある。
その演算を間違えても、先生は訂正しない。
子どもが自分で誤りに気づき、自分で訂正していく。
モンテッソーリ教育の根底には「自己教育力」という考え方がある。
子どもには生まれながらにして自分で自分を育てる力があるということ。
だから
今、伝えて、今子どもがその活動を実行することを期待したり
今、誤っていることを、今その場で子どもに訂正させたり。
子どもの都合ではなく、大人側の都合で教育がなされているようでは
子どもの真の成長は望めない。




















nakiyasu さんのコメント,
2008年3月14日 @ 9:55:18
今、伝えて、今子どもがその活動を実行することを期待したり
今、誤っていることを、今その場で子どもに訂正させたり。
心に沁みます。
我が娘、この春年長になります。
これから出会う、どんな先生からも吸収し成長して欲しいと思っていました。
が、しかし、私自身も先生から学ぶのですね。
良い意味でも、
子どもの接し方という点で‘わが身を振り返る’。と言う意味でも。
子どもには、これから理不尽なことも経験するだろうから、強く育って欲しいと常々思ってきましたが、私も強くなろう!
それにしても、一方的に話し続ける先生の話を聞き続ける。
今の私に無い能力です。精進します。